2026年2月
「神も仏もあるものか」
ここから宗教が始まるようです。
宗教とは、中心となる(宗)、教え(教)。
言わば、私の人生を、その中心でしっかり支えてくれる、決して折れない杖です。
浄土真宗の私たちにとって、その折れない杖とは、南無阿弥陀仏であり、それはつまり阿弥陀さまという存在そのものです。
楽しい時も、嬉しい時も、苦しい時も、悲しい時も、いつもご一緒くださる阿弥陀さまを、南無阿弥陀仏のお念仏としてわが身に聞いていくことができます。
もしも、自分の人生が順風満帆に進んでいるときには、宗教は、特に意識する必要がないのかもしれません。
宗教という支えがなくても、自分を支えてくれる「何か」があるからです。
それは「若さ」かもしれませんし、「健康」かもしれません。
「家族」かもしれませんし、「友人」かもしれません。
もっといえば、「お金」や、「社会的地位」かもしれません。
確かにそれらは、私の人生を支えてくれる大切な「杖」です。
「杖」が多いほど、強いほど、自分を支えてくれます。
ですが、それらの杖は、いつか必ず折れます。
月日が経ち、歳を重ね、いのち終っていかねばならないこの人生においては、一つずつ、確実に、折れていきます。
その時に出る言葉が、「神も仏もあるものか」ではないでしょうか。
そしてその時に、「折れない杖」とは何なのか、「宗教」とは何のかが、始まるのかもしれません。
今まで大切にしてきた杖が折れていき、人生が終わる時、そのいのちをなお支えてくれる杖こそが、南無阿弥陀仏の阿弥陀さまです。
人生の最期、なおご一緒くださる阿弥陀さまが、教えてくれます。
この人生はね、決して空っぽではなかったんだよ。
お慈悲いっぱいで満たされた人生だったんだ。
死は、絶望ではない、滅びではないよ。
懐かしくあたたかなお浄土へ生まれ、仏さまと成って大活躍していく、そんないのちの始まりなんだ。
そんな尊い尊い南無阿弥陀仏を、今いただいている。
尊い尊い人生を、今歩んでいる。
これ以上ない宝物、南無阿弥陀仏が、決して折れない杖として、今この口元にご一緒です。
この1年も、そのことを大切にお聞かせいただきましょう。
称名相続

