西法寺トップ

当山は、正式名称を「浄土真宗本願寺派 淵淵山 西法寺」と申します。
阪神電車の千船駅から徒歩15分。
大阪市西淀川区の佃にある仏教寺院です。
一口に「仏教」と言っても、様々なご宗旨があります。
その中、当山は、「浄土真宗本願寺派」に属しています。
ご本山は、京都にある本願寺(西本願寺)です。
阿弥陀如来という仏さま、「南無阿弥陀仏」というお念仏を、
大切に仰ぐご宗旨です。

 


今月の掲示板

西法寺の正門の右に、小さな掲示板があります。
9月は、この言葉を掲示しています。

思い出の 一つのようで そのままに
 しておく麦わら 帽子のへこみ


今年ももう9月。
暦の上では、秋です。
蒸し暑い日々の中にも、朝夕に、秋の風を感じます。

 

ということで、今月は、夏の終わりを感じる句です。

 

様々な立場から、様々な情景が目に浮かぶ詩ですが、この度は、子を想う親の目線で窺います。

 

私も、一人の親として、この夏に、子ども達にどんな思い出を作ってあげることが出来たかと、しみじみ思います。

 

テレビゲームとユーチューブだけの夏休みにならないよう、色々努力をするわけです。

 

たまには遠くに出かけたりもするのですが、もしもその帰り道、
車の中で、爆睡している子ども達を見ると、頑張ってよかったなと思います。

 

子どもは、その一瞬一瞬を精一杯に生きるので、どのような夏を過ごしたか、すぐに忘れてしまうかもしれません。

 

ですが、親の側は、色々考えますし、しばらくは覚えているのではないでしょうか。

 

その時々の子どもの姿を、愛すべき景色として、目に焼き付けるのではないでしょうか。

 

たとえ、何気なくすごす時間であっても、テレビゲームとユーチューブの時間でも、親としては、様々な想いと共に、その瞬間を大切にしたいと思うのです。

 

ですがそれは、阿弥陀さまのまなざし、そのものとも言えます。

 

親が、子どものすがたを、かけがえのない大切な瞬間として眺めるように、阿弥陀さまは、私たちの日暮らしをご覧くださっています。

 

何気ない日々であっても、何かを頑張った時間であっても、阿弥陀さまは、同じように、かけがえのない瞬間として、万感の想いを持ってご一緒です。

 

どうでしょう、皆さま。
この夏を振り返ってみて、どのようにお過ごしだったでしょうか。

 

様々な日々があったでしょう。
様々な過ごし方があったと思います。

 

でも、どのような夏であっても、阿弥陀さまがご一緒の夏でした。

 

阿弥陀さまと一緒に、かけがえのない命を過ごした時間でした。

 

思い出の 一つのようで そのままに
 しておく麦わら 帽子のへこみ

 

何気ない帽子のへこみ一つにも、かけがえのない時間、思い出があった。

 

そんな親のまなざし、阿弥陀さまのまなざしを教えてくれる、素敵な詩だなと思いました。

 

称名相続

 

【住 職】 園 淵 和 夫  【若 院】 園 淵 和 貴
【住 所】 〒555−0001 大阪市西淀川区佃1−11−3
【電 話】 06 ( 6471 ) 6330
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