西法寺トップ

当山は、正式名称を「浄土真宗本願寺派 淵淵山 西法寺」と申します。
阪神電車の千船駅から徒歩15分。
大阪市西淀川区の佃にある仏教寺院です。
一口に「仏教」と言っても、様々なご宗旨があります。
その中、当山は、「浄土真宗本願寺派」に属しています。
ご本山は、京都にある本願寺(西本願寺)です。
阿弥陀如来という仏さま、「南無阿弥陀仏」というお念仏を、
大切に仰ぐご宗旨です。

 


今月の掲示板

西法寺の正門の右に、小さな掲示板があります。
2月は、この言葉を掲示しています。

悲しみは、悲しみを知る悲しみに救われる。
涙は、涙にそそがれる涙に助けられる。

 


今年は、北陸の地震から始まり、一か月たった今でも、復興の遅れが報道されています。
私たちの知る内容のその裏には、もっともっと多くのお方々の悲しみがあることは、想像に難くありません。

 

関西にいるからでしょうか。
阪神大震災の経験者のお方々が、北陸の被災地に入り、救援活動をなさっているニュースが多く流れます。

 

その姿を知るたびに、今回の言葉が思い起こされます。
この言葉は、金子大栄というお東の僧侶の言葉です。

 

当然、南無阿弥陀仏でご一緒くださる、阿弥陀さまのことが想定されています。

 

ですが、娑婆に生きる我々が、お互いに身を寄せ合い、力を合わせながら生きていく姿にも、重ねて味わわれます。

 

深川倫雄という和上さまが、敬老の日に寄せて、こんな言葉をのこされています。

 

・毎年、九月になると、新聞をはじめとして、世間さまざまに、老人を思い出す。
・敬老の行事があり、年寄にやさしい言葉が、はやる。
・10月から、あくる8月までは、忘れられている。
・それでも、9月に思い出してもらえるのは、敬老の日を決めてある政治のおかげであろうか。
・老いてゆくということは、余の片隅に押しやられてゆくということであろうか。
・老人は、寂しいのである。

 

・片すみに押しのけられるということは、寂しいことである。
・それでも、おぼえていてくれるということは、うれしい。
・忘れられてしまうということほど、おそろしく、つらいことはない。
・つまらぬものでございます、とは申せ、あなたは誰でしたかね、といわれるほど、悲しいことはない。

 

・覚えているということは、最後の愛情である。
・単に覚えているだけでなく、真ん中において、ちやほやしてもらいたい。
・ところが、ちやほやする人より、じっと覚えている人の方が、愛情は、深く大きいのではないか。
・覚えているということは、最も深い愛情であろう。
・覚えているぞ、という喚び声が嬉しい。

 

悲しみの報道を見るたびに、覚えておくということの大切さを、思います。

 

称名相続
南無阿弥陀仏

 

【住 職】 園 淵 和 夫  【若 院】 園 淵 和 貴
【住 所】 〒555−0001 大阪市西淀川区佃1−11−3
【電 話】 06 ( 6471 ) 6330
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