西法寺トップ
当山は、正式名称を「浄土真宗本願寺派 淵淵山 西法寺」と申します。
阪神電車の千船駅から徒歩15分。
大阪市西淀川区の佃にある仏教寺院です。
一口に「仏教」と言っても、様々なご宗旨があります。
その中、当山は、「浄土真宗本願寺派」に属しています。
ご本山は、京都にある本願寺(西本願寺)です。
阿弥陀如来という仏さま、「南無阿弥陀仏」というお念仏を、
大切に仰ぐご宗旨です。
今月の掲示板
西法寺の正門の右に、小さな掲示板があります。
4月は、この言葉です。
消しゴムの本当の役割は 間違いを消すことじゃなくて
間違えたっていいんだよって 鉛筆を安心させることだ
ネット上で見かけたこの言葉。
身近なところに深い味わいがなされてあって、素敵だと思いました。
皆さんは、「鉛筆」と「消しゴム」に、どの様なイメージをお持ちでしょうか。
私は、何のイメージも持っていませんでしたが、この標語からは、何らかのストーリーを感じます。
昨今では、過ちを犯してしまった人を、ネットやテレビで再起不能になるまで叩き続けることがあります。
そのことからすれば、過ちを犯してしまった「鉛筆」に対して、不機嫌そうに、その尻拭いをする「消しゴム」の姿を想像してしまうかもしれません。
緊張し、びくびくしながら働く「鉛筆」と、その隣で冷たく眺めている「消しゴム」。
でも、本当はそうではないかもしれない。
「消しゴム」は、言います。
『間違えたっていいよ。
いつでも書き換えればいいんだから、今の精一杯を表現してよね。
間違えた時には、いつでもなおすから、安心してね。
なおせるボクが、いつでもキミの隣にいるよ。』
緊張する「鉛筆」に、やさしく微笑む「消しゴム」。
やがて「鉛筆」は、小さくうなづき、筆を走らせはじめる。
そんな情景が思い浮かびませんか。
結果的には、「消しゴム」が消すんだけれど、消すことそのものよりも、大丈夫だよって、「鉛筆」のそばにいることが力になる。
「消しゴム」と「鉛筆」。
素敵なセットです。
この人生においても、私と阿弥陀様は、セットです。
いつでも隣にいて、微笑んでくださる。
そんなあたたかな存在を、イメージさせてくれる言葉でした。