西法寺トップ
当山は、正式名称を「浄土真宗本願寺派 淵淵山 西法寺」と申します。
阪神電車の千船駅から徒歩15分。
大阪市西淀川区の佃にある仏教寺院です。
一口に「仏教」と言っても、様々なご宗旨があります。
その中、当山は、「浄土真宗本願寺派」に属しています。
ご本山は、京都にある本願寺(西本願寺)です。
阿弥陀如来という仏さま、「南無阿弥陀仏」というお念仏を、
大切に仰ぐご宗旨です。
今月の掲示板
西法寺の正門の右に、小さな掲示板があります。
7月は、この言葉を掲示しております。
ココだけの話やけどな、と前置きされると、
耳がダンボになる
今月の言葉は、どうでしょう。
深くうなづいてしまいませんか。
「ココだけの話やけどな」
確かに、とても魅力的な響きを持つ言葉です。
なぜなら、他では聞けない、得する、秘密の情報だと思ってしまうからです。
損得の勘定は、私たちの根っからも根性、持ち分です。
その感覚は、社会を生きていく上では非常に大切なものの考え方。
自分の判断で、損得をハカリ、ものの良し悪し、人の好き嫌い、正義と悪のレッテルを張りながらやっている。
それが私たちの暮らす生活です。
それはもちろん大切なことですが、それが全てであるならば、それのみで歩んできた人生の最後には、一体何が残るのでしょうか。
むなしい人生で終わってしまうのではないでしょうか。
そんな私たちの性分を、仏さまは十分にご存知です。
ですから、保ちやすい声のすがたで、南無阿弥陀仏とご一緒くださいます。
お仏壇に手を合わせる人生を歩むと、人生の折々に、阿弥陀さまと一緒に歩んだという事実が与えられます。
お仏壇のある生活。
今は、それが何なのかピンとこなかったとしても、人生の夕暮れを迎えた時、自分の歩んだ道を振り返った時、どうでしょう。
きっと、様々な思いが去来することでしょう。
ある人は、「随分遠回りをした気もする」。
ある人は、「無事に過ごせてよかった」。
ある人は、「何の意味があったのだろう」。
ある人は、「やり残しが多い人生だった」。
ですが、最後に、「人生のどの場面にも、阿弥陀さまがご一緒の人生だった」。
そう思えたなら、自分の歩んできた道が、知らず知らずのうちに、仏道となっていたと知らされるのではないでしょうか。
自分の歩んだ道が、尊く荘厳される。
人生そのものに、手を合わせていけるような気がします。
今日も、南無阿弥陀仏の仏さまが、私の気分に関係なく、声となってご一緒くださいます。
その事が、すでに大きなお心の中に包まれていることなのかもしれません。
称名相続