西法寺トップ

当山は、正式名称を「浄土真宗本願寺派 淵淵山 西法寺」と申します。
阪神電車の千船駅から徒歩15分。
大阪市西淀川区の佃にある仏教寺院です。
一口に「仏教」と言っても、様々なご宗旨があります。
その中、当山は、「浄土真宗本願寺派」に属しています。
ご本山は、京都にある本願寺(西本願寺)です。
阿弥陀如来という仏さま、「南無阿弥陀仏」というお念仏を、
大切に仰ぐご宗旨です。

 


今月の掲示板

西法寺の正門の右に、小さな掲示板があります。
5月は、この言葉です。

人のからだは、食べたもので作られる
人のこころは、聞いた言葉で作られる
人のみらいは、話した言葉で作られる


すごく考えさせられる標語です。

 

よくよく考えてみると、私の身体は、不思議です。
他の命を口に入れ、口から食堂、食堂から胃、胃から腸と、順々に消化していくそうですが、口に入れたその命、どの段階で、「私」になるのでしょう。
そう考えると、私の身体だと簡単に考えていますが、私だけの身体ではないような気がしてきます。

 

私の心も、簡単ではありません。
人間の脳は、主語が認識できないと聞いたことがあります。
私の脳は、他人に対して投げかける言葉も、自分の耳を通して聞いています。
でも、脳は主語を認識できないので、他人に「バカ」と言えば、私の脳は、「バカ」を自分のこととして聞くそうです。
私にも、思い当たる節があります。
子どもを強くしかりつけた時、自分でも涙ぐむときがあるのですが、もしかしたらこの原理のせいかもしれません。
そう考えると、私の心は、他人から語り掛けられている言葉だけではなく、自分の発している言葉ででも、作られているのかもしれません。

 

私の未来は、どうでしょう。
未来は、思った通りになるのではなく、行動した通りになります。
私の行動による業が、その報い(結果)を引っ張ってくる。
まさに自業自得です。
ですが、私の行動のもとには、私の心があります。
心にもないことをすることはありません。
心にあるから行動します。
その行動のもととなる心を、言葉が作っているとするならば、私の未来も、言葉が作っているのかもしれません。

 

仏教では、私たちの行為を、身・口・意に分けて考えます。
心と体のみではなく、わざわざ口業、言葉を加えて説明するのです。
このことからも、色々考えさせられます。
浄土真宗は、南無阿弥陀仏のお念仏の宗教ですから、この標語に、阿弥陀さまを加味して、少し変えてみます。

 

・私のからだは、多くの命で作られる
・私のこころは、南無阿弥陀仏で作られる
・私のみらいは、南無阿弥陀仏で作られる

 

今、私たちは、「南無阿弥陀仏」のお念仏をいただきます。
多くの命に支えられているこの身体を使って、「南無阿弥陀仏」と称えます。
多くの命に支えられているこの身体に、「南無阿弥陀仏」を聞かせます。
「南無阿弥陀仏」が心に満ちて、仏さまになる未来が与えられます。

 

この標語を見た時、「なるほどな、こういうことかな」、と思ったのです。

 

人間の使う言葉と、お悟りからの名のりの言葉の違いはあれど、この標語をおとおして、南無阿弥陀仏の味わいが、また少し深くなった気がします。

【住 職】 園 淵 和 夫  【若 院】 園 淵 和 貴
【住 所】 〒555−0001 大阪市西淀川区佃1−11−3
【電 話】 06 ( 6471 ) 6330
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