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当山は、正式名称を「浄土真宗本願寺派 淵淵山 西法寺」と申します。
阪神電車の千船駅から徒歩15分。
大阪市西淀川区の佃にある仏教寺院です。
一口に「仏教」と言っても、様々なご宗旨があります。
その中、当山は、「浄土真宗本願寺派」に属しています。
ご本山は、京都にある本願寺(西本願寺)です。
阿弥陀如来という仏さま、「南無阿弥陀仏」というお念仏を、
大切に仰ぐご宗旨です。

 


今月の掲示板

西法寺の正門の右に、小さな掲示板があります。
12月は、この言葉です。

生老病死が苦しみになるのではない。
そこに意味が見出せないことが、苦しみになる。


上の言葉は、ある布教使の先生が、お説教の中で教えてくださった言葉です。

 

私の命の上には、「生老病死」という苦しみがある。

 

このことは、今から2,500年前、お釈迦様という仏さまが教えてくださいました。

 

「生老病死」、「生まれること、老いること、病になること、死を迎えること」。

 

これらはまったく自由にならず、避けられない内容として、私が一人、背負っていかねばならない事実です。

 

そして、その人間のあり様は、2,500年経った今でも、何一つ変わりません。

 

だからこそ、その解決となる仏さまのお救いも、2,500年間、何一つ変わりません。

 

浄土三部経、「仏説無量寿経」、「仏説観無量寿経」、「仏説阿弥陀経」には、説かれます。

 

『阿弥陀さまという仏さまが、あなたのいのちにご一緒です。南無阿弥陀仏でご一緒です。』

 

このことを聞かせていただくと、私の人生は、いつも阿弥陀さまと二人三脚です。

 

どの様な暮らしぶりの上にも、阿弥陀様がご一緒の人生です。

 

お念仏と共に、歩んで行く人生です。

 

その人生は、命終って仏さまになる道であり、人生そのままが仏道になります。

 

何気ない日暮しに、仏道という意味が与えられます。

 

お浄土への歩みとして、仏さまにお飾り(荘厳)された人生です。

 

いつの日か、人生の最後の日を迎え、その人生を振り返る日が来るでしょう。
その時に、何を思えるでしょうか。

 

「いい人生だったな。」

 

「つらいこと、苦しいことの方が多い人生だったな。」

 

「何の意味もない人生だった。むなしい。」

 

いろいろな思いが、浮かんでは消え、浮かんでは消え、するでしょう。

 

でも、どの様な人生であっても、阿弥陀さまは、お念仏の人生を、褒めてくださいます。

 

『仏と共に歩んだ、尊い人生だったよ。大変だったかもしれない。でも、立派だったよ』

 

そのことを聞かせていただいて、思えるのではないでしょうか。

 

「そうだったな。私の人生のどこを押さえても、仏さまと歩んだ仏道だったんだな。
生まれること、老いること、病をいただいたこと、命を終わっていくこと。
自分では、よくわからないけれど、仏さまが褒めてくださるんだったら、これでよかったのかもしれないな」

 

私の人生に、うなずきを与えんがために、阿弥陀様は、今、ご一緒下さっているのかもしれません。

 

その人生の上には、意味のない出来事はありません。

 

どの様な人生模様が描かれてあったとしても、その模様の中には、南無阿弥陀仏が紡(つむ)がれてあります。

 

仏さまと成るために歩んだ人生だったと、尊い人生模様が編み上げられます。

 

人生模様は人それぞれですが、何と尊い人生であったことかと、我が人生に、手を合わせていける。

 

そんな日暮しを、今日も南無阿弥陀仏と紡(つむ)いでまいります。

 

称名相続

 

【住 職】 園 淵 和 夫  【若 院】 園 淵 和 貴
【住 所】 〒555−0001 大阪市西淀川区佃1−11−3
【電 話】 06 ( 6471 ) 6330
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