西法寺トップ

当山は、正式名称を「浄土真宗本願寺派 淵淵山 西法寺」と申します。
阪神電車の千船駅から徒歩15分。
大阪市西淀川区の佃にある仏教寺院です。
一口に「仏教」と言っても、様々なご宗旨があります。
その中、当山は、「浄土真宗本願寺派」に属しています。
ご本山は、京都にある本願寺(西本願寺)です。
阿弥陀如来という仏さま、「南無阿弥陀仏」というお念仏を、
大切に仰ぐご宗旨です。

 


今月の掲示板

西法寺の正門の右に、小さな掲示板があります。
5月は、この言葉を掲示しております。

絶望の淵で、おなかがグ〜っとなった。
いのちが、生きようよ、生きようよ、と言ってくれた。


私たちは、自分で生きていると思っていますが、果たしてそうだろうか。。。

 

そんなことを考えさせてくれる言葉です。

 

あるテレビ番組で、お坊さんが取材を受けておられました。

 

そのお坊さんが、僧侶を目指すきっかけとなった経験を語っておられました。

 

私は、お寺と関係のない家庭で生きてきました。
まわりに認めてもらいたくて、いい子であろうと、一生懸命努力しました。
勉強を頑張り、受験もしました。
新しい環境には、勉強のできる人がたくさんいて、もっと頑張らねばと思いました。
頑張って、頑張って、頑張って、いい会社に入社しました。
ですがある日、ある時、仕事のミスがきっかけで、緊張の糸が切れました。
何のために生きて来たのか、本当に分からなくなりました。
生きていても仕方ないと思い、いのちを絶とうと、ビルの屋上にのぼりました。
その時、自分の意志とは関係なく、手が、足が、ぶるぶると震えたのです。
その時に、ハッとしました。
驚きました。
そうか。
手よ。。。
足よ。。。
おまえ達は、まだ、生きていたいのか。
そうか、そうか、かわいそうなことをした。
頭が絶望しただけなのに、それに付き合わせようとしてしまった。
怖かったな。すまなかったな。
私が、お前たち(私自身)を、認めてあげないといけないよな。
私は、お前たち(私自身)のために、生きていこう。
本当に、そう思えました。
それがきっかけで、僧侶になりました。

 

そんなお話でした。
何のテレビ番組だったかは覚えていませんが、すごい話だったので、印象に残っています。

 

私たちは、なぜ生きているのか。

 

この疑問に対しては、色んな答え方があると思います。

 

でも、「わからない」、というのも、一つの立派な答えです。

 

「生きている」のではなく、「生かされている」。
頼みもしないのに、手が、足が、目が、心臓が、今日も一生懸命はたらいてくれる。
おかげで今日も、生きている。
「生きる」という事は、自分の意志ではないのだ。
「生かされている」のだ。
だとすれば、頭で勝手に生きる意味を出すのは、すこし傲慢かもしれない。

 

そんな目線がある様に思います。

 

私を、謙虚に見つめる。
私のいのちを、少し遠めに眺め見る。
そこに、私を生かすはたらきを見ていくことができるのかもしれません。

 

さきのお坊さんは、それが知りたくてお坊さんになったとおっしゃっていました。

 

そのお坊さんは、その後、きっと、仏さまのおはたらきをご自身の身の上に聞いていかれたと思います。
どう思われたでしょう。
お聞きしていないのでわかりませんが、私なりに、阿弥陀さまのおはたらきを重ね合わせれば、次のようになるのかもしれません。

 

絶望の淵で、お念仏をしてみた。
仏さまが、一緒だよ、一緒だよ、と言ってくれた。

 

有り難いことです。

 

称名相続

 

【住 職】 園 淵 和 夫  【若 院】 園 淵 和 貴
【住 所】 〒555−0001 大阪市西淀川区佃1−11−3
【電 話】 06 ( 6471 ) 6330
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