西法寺トップ

当山は、正式名称を「浄土真宗本願寺派 淵淵山 西法寺」と申します。
阪神電車の千船駅から徒歩15分。
大阪市西淀川区の佃にある仏教寺院です。
一口に「仏教」と言っても、様々なご宗旨があります。
その中、当山は、「浄土真宗本願寺派」に属しています。
ご本山は、京都にある本願寺(西本願寺)です。
阿弥陀如来という仏さま、「南無阿弥陀仏」というお念仏を、
大切に仰ぐご宗旨です。

 


今月の掲示板

西法寺の正門の右に、小さな掲示板があります。
10月は、この言葉です。

あれば鳴る なければ鳴らぬ 鈴の珠 
 胸に六字の なきは称えず

今言う「六字」とは、「南無阿弥陀仏」の六字です。
浄土真宗では、この「南無阿弥陀仏」をとても大切にしますが、
そもそも、この「南無阿弥陀仏」って、何かご存じでしょうか。

 

お念仏?
名号?
お掛け軸?

 

全部正解です。
…が、「南無阿弥陀仏」は、「阿弥陀様という仏さま、そのもの」ということを知っておくことが、大切です。

 

そのことをよく表してくださるのが、この句です。
この句では、私のことを鈴に喩えています。

 

鈴は、鳴らそうと思えばいつでも鳴ります。
なぜ、鳴るか。
それは、鈴の中に、珠が入っているからです。
珠さえあれば、いつでもどこでも、鳴らしたいときに、鳴らすことができます。

 

それと同じように、私は今、南無阿弥陀仏とお念仏することができます。
日常会話では、何の使い道もないはずの南無阿弥陀仏という言葉が、なぜ私の口からこぼれてくるのか。
それは、私の内側に、すでに「南無阿弥陀仏」が入っているからなんだ、というのです。

 

阿弥陀様は、「南無阿弥陀仏」という、おさとりむき出しのお言葉に、そのおすがたを変えられました。
そして今、「南無阿弥陀仏」のおすがたそのままで、私の内側で珠となり、この胸にご一緒です。
いつでもどこでも、ご一緒です。

 

私という鈴は、歳を重ねると、外側がボロボロに傷んでくるかもしれません。
いい音が出なくなったり、ご縁によっては、音を出すこともできなくなるかもしれません。

 

ですが、この鈴においては、たくさん鳴るかどうか、や、いい音で鳴るかどうか、に値打ちを見るのではありません。
私の中に入っている珠にこそ、大きな値打ちを見るんです。
「珠」と言う漢字が、「価値あるもの。すぐれたもの」という意味であるように、
いつも私の内側にあり、いつでも私に「南無阿弥陀仏」と称えさせる「南無阿弥陀仏」そのものに、大きな値打ちがあります。

 

私をお浄土に引っ張り上げる、阿弥陀様の智慧と慈悲の功徳そのままが、「南無阿弥陀仏」の六字に仕上がり、今、私とご一緒です。
つま先から髪の毛の先にまで、仏様の功徳が満ち満ちてあります。

 

嬉しい時、うまくいったとき、この鈴を鳴らします。
「みんなのおかげ様だったね」と、阿弥陀様がご一緒です。

 

つらい時、悲しい時、孤独を感じるその時に、この鈴を鳴らします。
「私はここに一緒だよ」と、阿弥陀様が、ご一緒です。

 

自分の値打ちが、自分で分からなくなる時、この鈴を鳴らします。
「それでもあなたが大事だよ」と、阿弥陀さまが、ご一緒です。

 

私の抱える苦しみ、悲しみ、孤独やつらさ、全部をご存じのそのうえで、
「あなたのことが大事だよ。あなたのことが大事だよ」
そうおっしゃる阿弥陀様が、「南無阿弥陀仏」でご一緒です。

 

称名相続

 

 

【住 職】 園 淵 和 夫  【若 院】 園 淵 和 貴
【住 所】 〒555−0001 大阪市西淀川区佃1−11−3
【電 話】 06 ( 6471 ) 6330
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