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今月の掲示板
西法寺の正門の右に、小さな掲示板があります。
9月は、この言葉を掲示しています。
思い出の 一つのようで そのままに
しておく麦わら 帽子のへこみ
今年ももう9月。
暦の上では、秋です。
蒸し暑い日々の中にも、朝夕に、秋の風を感じます。
ということで、今月は、夏の終わりを感じる句です。
様々な立場から、様々な情景が目に浮かぶ詩ですが、この度は、子を想う親の目線で窺います。
私も、一人の親として、この夏に、子ども達にどんな思い出を作ってあげることが出来たかと、しみじみ思います。
テレビゲームとユーチューブだけの夏休みにならないよう、色々努力をするわけです。
たまには遠くに出かけたりもするのですが、もしもその帰り道、
車の中で、爆睡している子ども達を見ると、頑張ってよかったなと思います。
子どもは、その一瞬一瞬を精一杯に生きるので、どのような夏を過ごしたか、すぐに忘れてしまうかもしれません。
ですが、親の側は、色々考えますし、しばらくは覚えているのではないでしょうか。
その時々の子どもの姿を、愛すべき景色として、目に焼き付けるのではないでしょうか。
たとえ、何気なくすごす時間であっても、テレビゲームとユーチューブの時間でも、親としては、様々な想いと共に、その瞬間を大切にしたいと思うのです。
ですがそれは、阿弥陀さまのまなざし、そのものとも言えます。
親が、子どものすがたを、かけがえのない大切な瞬間として眺めるように、阿弥陀さまは、私たちの日暮らしをご覧くださっています。
何気ない日々であっても、何かを頑張った時間であっても、阿弥陀さまは、同じように、かけがえのない瞬間として、万感の想いを持ってご一緒です。
どうでしょう、皆さま。
この夏を振り返ってみて、どのようにお過ごしだったでしょうか。
様々な日々があったでしょう。
様々な過ごし方があったと思います。
でも、どのような夏であっても、阿弥陀さまがご一緒の夏でした。
阿弥陀さまと一緒に、かけがえのない命を過ごした時間でした。
思い出の 一つのようで そのままに
しておく麦わら 帽子のへこみ
何気ない帽子のへこみ一つにも、かけがえのない時間、思い出があった。
そんな親のまなざし、阿弥陀さまのまなざしを教えてくれる、素敵な詩だなと思いました。
称名相続