2022年11月

冷めてても、ぬくもり残る、お弁当

わが家の子供たちは、お母さんが作ってくれるお弁当を、とても喜びます。

 

子供たちのその気持ち、私自身もよく分かります。

 

なぜお弁当って、あんなにおいしいのでしょうか。
お弁当という食事スタイルが、良いのでしょうか。
屋外で食べるからおいしいのでしょうか。
食べる環境が、ワクワクした状況だから、つられておいしく感じるのでしょうか。

 

いろいろ考えられると思いますが、大きな理由の一つは、そのお弁当に、作った人の思いがいっぱいに込められてあるからではないでしょうか。

 

お母さんが作ったお弁当は、お母さんが、自分を想ってくれる思いが、具体的に形になったものです。
自分を想い、作ってくれた息遣いがあります。
おにぎり一つ一つ、卵焼き一巻き一巻きに、自分に真っ直ぐ向けられた愛情があります。

 

その事が分かるから、お弁当はおいしい。
おなかが満たされるだけではなく、心も愛情で満たされる。
だから余計においしいのではないでしょうか。

 

お弁当は、冷えるけれど、込められた思いは変わらない。
だから、お弁当は冷えていても、ぬくもりが残る。
だから、おいしい。

 

実は、南無阿弥陀仏の六字にも、阿弥陀さまの愛情がいっぱいに込められてあります。
私一人に真っ直ぐに向けられた思いがあります。

 

一人じゃないよ。わたしが一緒だよ。

 

その仏さまの思いを、お念仏で味わいます。

 

その仏さまの思いを、たのしく、うれしく、ありがたく、お寺のご法話で味わいます。
それが、とてもおいしいのです。

 

ぜひ、お寺に足を運んでみて下さい。

2022年10月

晴れた日は、枝が伸びる。
雨の日は、根が伸びる。

人生を、植物に譬えてみると、

 

枝という、人生の広がりは、目に見えない根っこに支えられる。

 

枝のない植物はあっても、根の無い植物はありません。

 

人生に於て、花が何も咲かない時には、根をのばす。
内面を深める。
そんなご縁をいただいている時なのかもしれません。

 

そんなことを考えていると、かつて目にした「元服」という作文が連想されました。
中学校三年生のお方の作文なのだそうです。

 

以下に紹介し、今月の言葉の味わいに代えます。

 

  「元服」

 

ぼくは、今年3月、担任の先生からすすめられてA君と2人、○○高校を受験した。
○○高校は私立ではあるが、全国の優等生が集まってきている、いわゆる有名高校である。
担任の先生から、君たち2人なら絶対大丈夫だと思うと強くすすめられたのである。
ぼくらは得意であった。
父母も喜んでくれた。
先生や父母の期待を裏切ってはならないと、ぼくは猛烈に勉強した。

 

ところが、その入試で、A君は期待通りパスしたが、ぼくは落ちてしまった。
得意の絶頂から、奈落の底へ落ちてしまったのだ。
何回かの実力テストでは、いつもぼくがいちばんで、A君がそれに続いていた。
それだのに、そのぼくが落ちて、A君が通ったのだ。

 

誰の顔も見たくない、みじめな思い。
父母が、部屋にとじこもっているぼくのために、ぼくの好きなものを運んでくれても、優しいことばをかけてくれても、それが、よけいにしゃくにさわった。

 

何もかもたたきこわし、ひきちぎってやりたい怒りに燃えながら、ふとんの上に横たわっているとき、母がはいってきた。

 

「Aさんがきてくださったよ」と言う。

 

ぼくは言った。

 

「かあさん、ぼくは誰の顔も見たくないんだ。特に世界中でいちばん見たくない顔があるんだ。世界でいちばんいやな憎い顔があるんだ。だれの顔か、言わなくたってわかっているだろう。帰ってもらっておくれ」

 

母は言った。

 

「せっかく、わざわざきてくださっているのに、かあさんにはそんなこと言えないよ。あんたたちの友だちの関係って、そんなに薄情なものなの。ちょっとまちがえば、敵味方になってしまうようなうすっぺらいものなの。かあさんにはAさんを追い返すなんてできないよ、いやならいやでソッポを向いていなさいよ。そしたら帰られるだろうから」

 

といっておいて、母は出ていった。

 

入試に落ちたこのみじめさを、ぼくを追い越したことのない者に見下される。
こんな屈辱ってあるだろうかと思うと、ぼくは気が狂いそうだった。

 

2階に上がってくる足音が聞こえる。
ふとんをかぶってねているこんなみじめな姿なんか見せられるか。
胸を張って見すえてやろうと思って、ぼくは起きあがった。

 

戸があいた。
中学の3年間、A君がいつも着ていたくたびれた服のA君、涙をいっぱいためたくしゃくしゃの顔のA君。

 

「××君、ぼくだけが通ってしまって、ごめんね」

 

やっとそれだけ言って、両手で顔を覆い、かけおりるようにして階段を下りていった。

 

ぼくは、はずかしさでいっぱいになってしまった。
思いあがっていたぼく。
いつも、A君になんか負けないぞと、A君を見下していたぼく。
このぼくが合格して、A君が落ちたとして、ぼくはA君をたずねて、「ぼくだけが通ってしまって、ごめんね」と、泣いて慰めにいっただろうか。
「ざまあみろ」と、よけいに思いあがったに違いない自分に気がつくと、こんなぼくなんか、落ちるのが当然だ、と気がついた。
彼とは、人間のできが違うと気がついた。
通っていたら、どんなおそろしい、ひとりよがりの思いあがった人間になってしまったことだろう。
落ちるのが当然だった。
落ちてよかった。
ほんとうの人間にするために、天がぼくを落としてくれたんだ、と思うと、かなしいけれども、このかなしみを大切に出直そうと、決意みたいなものが湧いてくるのを感じた。

 

ぼくは、今まで、思うようになることだけが幸福だと考えてきた。
が、A君のおかげで、思うようにならないことのほうが、人生にとって、もっと大事なことなんだということを知った。

 

昔の人は15歳で元服したという。
ぼくも入試に落ちたおかげで、元服できた気がする。

【住 職】 園 淵 和 夫  【若 院】 園 淵 和 貴
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